書いた人:tea

 学校現場では、「リーダーがいない」という言葉がよく聞かれる。しかし、その言葉は絶対に言ってはいけないものだと思っている。リーダーは、勝手に育ち、頭角を表してくるものではない。リーダーがいないのは、我々教員が行なってきた(または行なってこなかった)実践の帰結である。

 また、リーダーが誰々であると決める必要もない。人々は全て相対的であり、どんな場所でもリーダーを務められる人がいるわけではない。また、逆に言えば、人々は必ずどこかにリーダーを務められる場所がある。

 教室でリーダーシップを取れる子ども、家庭の中でリーダーシップを取れる子ども、体育大会でリーダーシップを取れる子ども、小さい友人関係の中でリーダーシップを取れる子ども、低学年の子どもの面倒を見ながらリーダーシップを取れる子ども。

 同じ子どもが複数回浮かぶこともあるだろうが、全部違う子どもを思い浮かべることも可能なのではないか。全て相対的で、誰と一緒にいるか、どんな環境にいるかによってリーダーを務められるかが決まるのだ。

 ある場所ではリーダーシップを全く発揮できない生徒も、別の場所ではバリバリとリーダーシップを発揮することもあるだろう。

 だから、先日書いたように、全ての子どもたちがリーダーになれるように期待し、権限を委譲し、その成長を願い続けていきたい。子どもたちに手取り足取り教える必要はない。見守り、失敗を共に悔しがり、成功を共に喜んでいきたい。