書いた人:Point Flag

 正規教員になってから9年目。期限付き任用教員を含めると10年目。振り返ってみると、これまで担任を務めたのは8回。あっという間だった。

 初めての学年は、4クラスあり、担任4名、副担4名で教員の役割分担は父・母・兄・姉・親戚役が揃った家族のような学年だった。生徒をいつも見守り、ただそばにいることを大切にしていた。人間らしい温かい関わりがあった。自分にとって、この学年での経験が担任としてのベースになっている。

 8回の担任を経験した中で大切にしていたことは、クラスで共同体感覚、一体感を持てるようにすることだ。全員の存在が認められ、全員で喜怒哀楽を共有し、喜びも悲しみも分かち合える。全員が安心して挑戦し、失敗、成功ができるようなクラス。何かあっても安心して帰って来られる場所にすること。絶対に見放さない、生徒に寂しい思いをさせないように意識した。そのために取り組んでいたことは主に次の2つだ。

 1つめは、担任が感情をオープンにし自己開示することだ。特に、生徒と関わる中で嬉しかったこと、全員のことを大切に思っていることを言葉で伝えるようにした。自分の得意・不得意、長所・短所などありのままの自分を全て受け入れること、どんなあなたも私は無条件で好きであること、ダメな基準を超えたときは叱ることもあるけれどそれは愛情をもっているからだということ、私にとってクラス全員の存在が原動力であり大切な存在であることを伝え続けた。必ず1日に1回以上全員の名前を呼んだ。

 クラスであった出来事は良いことも悪いことも共有し、悩んだ時は素直に伝え生徒を頼った。褒める時も叱る時も必ずその理由と願いを伝えるようにした。伝え方は直接・間接的に、個人・全体にとその時々で使い分けた。

 そのうちに、生徒が自分の弱みも強みも出せるようになってきた。そして、それを助けたり、応援したりするようになり、気持ちを伝え合うようになった。全員が互いを大切に思っている、クラスのことを好きになっていくのが分かった。

 2つめは、自分の中で母性(受容・容認する)と父性(社会的な規律や規範を教える)の両方を使い分けることだ。量的に言うと母性を多めに、父性を少なめだ。そして必ず母性を先に、後から父性を出すようにした。

 母性的なものを十分に与えられた子どもは、父性的なものもきちんと受け止めることができるようになる。クラスでたくさん受け止めてもらう経験ができれば、クラスから出て少しずつ社会で人間関係を広げていくことができる。そして、振り返れば必ず見守ってくれている人がいるから、クラスがあるから頑張れる子どもに育つのだと思う。

 時代が変わっていき、家族の形や生活の仕方も変わってきた。教育もどんどん新しいことが増え変わっていくけれど、人間として関わりの中で大切で変わらないもの、変えてはいけないようなものがあるような気がしている。特に今の時代は、家庭の機能も学校が担うことが増えてきているから、余計にそう感じる。

 ハリー・スタッグ・サリヴァンという有名な精神科医がいて、「人間は自分が存在する意味と生きる価値を人間関係の中に見出す。いや、人間関係の中にしかそれを見出すことはできない」と言っていた。今の日本では、この「人間関係」を子どもも大人も失いかけているような気がする。幸せになるためには人間らしく、健全に人間関係を築く力が必要だ。人と生き生きと交わって誰とでも喜びや悲しみを分かち合えるような、人間関係に喜びを見出す力を育めるような学級経営がしたい。